久しぶりにゆっくりと初代を触っていて思ったこと


私のW-ZERO3(WS003SH)は自分でカラーリングをしてあります。ちょっとアグレッシヴな感じを演出したくて、砂漠を走る戦車のイメージでサンドイエローに塗装しました。なんでこんなことをしたんだったっけな?と、昨日はAdvanced/W-ZERO3[es]発売に備えて、導入するアプリを刷新(現在使用させていただいているアプリの最新版や使ってみたかったアプリをダウンロード)したり、W-ZERO3[es]用ストラップを作ったりしつつ考えていました。


当時、このカラーリングを施したW-ZERO3を見て、「SHINO-BLOG」を主宰されているAviさんが仰ったコメントが「W-ZERO3ってプラモデルですよね」という言葉でした。そう!まさにそんな感じです!!と私も膝を打って納得していたのですが、その言葉にこそ答えがあったんだなぁ、と気が付きました。
男性なら、誰もが一度はプラモデルを購入して、自分で作った覚えがあると思います。自分で購入したものですから、先ず気に入らないものは手に入れません(買い与えられたものであれば、作りたくないのに戦艦を作らざるを得なかったり、というケースはありますが)。それを組み立てていく訳ですが、色見本は存在していますので、その設計図通りに組上げる楽しさもあれば、自分のオリジナルカラーリングを楽しむことも出来ました。そして、自分が好きなオブジェがミニチュアながらも目の前に所有できる、という幸福感…。そういった自分で弄る&自分のものにする感じ(プロセス)が、私がW-ZERO3に対して感じているモノとしての魅力に非常に近い気がしています。


W-ZERO3[es]はと言えば、既に外部にエンボス加工がされており、色も非常にシンプルなBlack&Whiteのみがラインアップされ、ビジネスライクに完成されている感があり、”ケータイ”により近づいたデザインによって所有する私の意識も”ケータイ”ライクなデバイスを弄っているという気持ちになっていたのか、カスタマイズをしてやろうという気には余りなりませんでした。それだけ、仕事&プライベートのあらゆる生活シーンで使用することができる完成度を持っていた…だからこそ、遊びが少ないなぁ、と感じていたのかもしれません。


以前、W-ZERO3W-ZERO3[es]をバラしてみて判ったのですが、W-ZERO3[es]の方がボディが小さい分、機能集積度が高くなっていて、シロートが介入するのを許してくれない感じがありました。W-ZERO3はと言うと、比較的ケース内にも余裕があってまだまだスペースを詰めれば小型化も可能なんじゃないか、と思わせられるぐらい、スッカスカ(失礼)でした。今考えればその余裕こそが、シロートな私が弄っても許される余地だったのかもしれません。そういうちょっと無駄な部分もあるんだけど、少々何やったって壊れないし、ちょっと遊んでみようかな!?ってところがまた、初代W-ZERO3は愛らしいなぁと実感しています。


高機能化、小型化が進んだAdvanced/W-ZERO3[es]のレビューを見ていて、そんな気分になってました(*´ω`)さて明日、仕事の始業時間にスタートする事前予約ですが、どうやって参加しようかなぁ…orz